タイトル | : Re^3: 備中高松城攻めの謎 |
投稿日 | : 2005/06/20(Mon) 18:55 |
投稿者 | : WalkingAircraftcarrier |
ごちょうさん、皆さん、こんばんは。
WalkingAircraftcarrierです。
はい、この写真は見たことがあります。確か当時、地元の新聞にのりました。
現場は(岡山一帯がだいたいそうなのですが)、非常にフラットで勾配が小さく、粘土層が厚く、地下水位が高いので、はなはだ水はけが悪いのです。局地的豪雨で排水路の能力を超える降水があったりしますと、簡単にこういう海状態になります。
高松城の場合、足守川が増水していれば、堤を切ってやればとりあえず一時的にはこの状態になるでしょう。
ただ、籠城側はこの程度では別に困らない、という難点があります。写真でもわかるとおり、海になっているのは田んぼと畦だけで、城址や道路は冠水していません。これでは城に対する直接的脅威にはなりません。
ただし、秀吉の戦略は、こうしておいて毛利に後詰決戦を強要する、という点にあった、と思います。その場合には、城からの突出が不可能になりますから、秀吉側の利が大きいでしょう。
問題は海になったその先です。小さいとはいえ勾配があるので、ほっておくと水がはけてしまいます。写真の水位を長時間維持しようとすると、自然堤防だけでは無理で、下流部と側面にかなり高い堤を築かなければなりません。太閤記とかは、それを実際やったのだ、と主張するのですが。これの工事量が、山家さんのご指摘のとおり、半端ですまないのです。
もとに戻って、戦略のポイントが後詰決戦の強要にあるのなら、海状態を維持する必要はなく、泥海で足りるはずです。泥海だって、軍事行動を不可能にするには十分なのですから。あえて海状態を維持しようというのは、過剰投資というもので、私には、秀吉のような計算高い人がやることとはとても思えないのです。