History Quest「戦史会議室」
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タイトル Re^3: 備中高松城攻めの謎
投稿日: 2005/06/27(Mon) 00:17
投稿者久保田七衛

 山家様、ごちょう様、WalkingAircraftcarrier様のご意見を興味深く拝読しています。私自身は本能寺前後への関心が薄く、皆様方の意見をただ傾聴するのみですが、数字に関しては思うところもあり、拙文を拝読いただけましたなら幸いに存じます。

>速水融氏や鬼頭宏氏の研究によると、17世紀初頭の日本の総人口は約1200万人、

 論拠は社会工学研究所(1974年)『日本列島における人口分布の長期時系列分析』と拝察いたします。この数値は1750年の幕府調査人口を上限とし、信濃国諏訪郡の人口動態を参考に成長曲線を措定して1600年の人口を推定したものです。、、、推算の方式がこのようなものである以上、ごくわずかなバイアスで大きなブレが生じることには注意しなければなりません。事実、この数値には鬼頭氏の以下のようなコメントが寄せられています。
「もっともこの推計は過少であるといわなければならない。(中略)仮に人口上限を1721年の幕府調査人口によるものとし、成長の開始時期を30年溯上させるだけでも1600年人口は1547万人になる。」(速水・鬼頭・友部2001年『歴史人口学のフロンティア』)
 仮に鬼頭氏の数値を毛利領国にあてはめると約122万人となり、35000人は2.8%、7万人は5.6%となります。、、、ではこれが当時の青壮年人口の中で如何ほどかを考えてみましょう。

>そして、平均寿命は20代後半、長く見積もって30歳そこそこでした。
>そして、その住民にしても、平均寿命は長く見て30歳そこそこ、10代未満が多いのです。

 30代半ばから後半ほどに平均寿命が考えられる江戸時代後半の人口ピラミッドについては、鬼頭氏が『日本二千年の人口史』(1983年)の中で挙げておられますが、人口移動の少ない農村では、15歳未満が30%以上、15−65歳が60%以上、65歳以上がせいぜい数%止まりとのことです。案外青壮年人口の占める比率が存外高いのは新生児死亡率が高く、すぐ死んでしまう層が0歳時余命を押し下げるためです。もちろんこの比率をそのまま中世末にあてはめることはできませんが、江戸時代における寿命の階層間格差についてはスミス氏、松浦昭氏の研究があり、武士と農民との間で4−6歳ほどの差が認められるようです。中世の階層分化につき議論する実力は私にはありませんが、仮に平均寿命が高めの階層で多めに兵役にピックアップされるとした場合、青壮年の比率をあまり大きく落とさなくともよいのではないか、と考えます。仮に落として50%とした場合でも、上述の5.6%は青壮年男性25%の5分の1強ということになります(この数値が想定しうる最大値ではないでしょうか)、、、これ自体は確かに大きな数値です。ただし、この毛利軍がけして常備軍ではないことに留意したいですね。常備軍とあっさり比較できないものの、ちなみに幕末日本の武家人口については関山直太郎氏(1958年)が6-7%と推定しており、当時で3-3.5%の兵力(?)を日本は抱えていた、と捉えることは一応可能で、プロイセンの例より日本が格別厳しい状況にある、とも思えません。ましてや常備でない兵力徴発の場合、これより高めのパーセンテージを想定することはそう不可能とも思えません。

、、、他にも豊臣政権段階で把握される毛利領国の石高算定が果たしてどうか(私自身はより多めに捉えるべきと考えています)などの点があります。つまりは、高松城救援における「4万」という数字は単にそれだけなら無理ではないのではないでしょうか。

 なぜにこう考えるかというと、ごちょう様とやはり同意見なのですが、四国・九州・文禄慶長の軍役負担において、3万−3万5千の動員を毛利が頻回にできていることが大きいです(ブレが大きい当該期の人口推定よりは論拠の強さがより強いと考えます)。また、三木氏ら先学による軍役負担の研究において、けして100石あたり2.5人の負担が重いわけではないことが議論されていることも付記したいと思います。


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