History Quest「戦史会議室」
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タイトル Re^2: 備中高松城攻めの謎
投稿日: 2005/06/25(Sat) 22:34
投稿者山家

> 確かに毛利家はジリ貧でしたが、山家さんが言うほど酷い状況でもなかったと思うのですが。その後の秀吉の四国・九州遠征では文字通り主力として3〜5万を動員しています。この潜在力から見ても毛利の本隊が「根こそぎ動員」とはとても思えんのですが。それに毛利は対織田戦においてそれ程消耗戦をしていませんね。やはり毛利のモラルダウンはあくまで信長本隊の潜在力が大きいと考えます。

 当時の石高と人口の比率、更に当時の平均寿命をご存知でしょうか。そして、日本の農業と欧州の農業の違いを。100石当たり2・5人役という計算は、文字通り根こそぎ動員を行ったもので、プロイセンのフリードリッヒ大王が知れば、感動の余り、お手本に絶対しそうな代物なのです。

 速水融氏や鬼頭宏氏の研究によると、17世紀初頭の日本の総人口は約1200万人、100石当たり約67人程でした。そして、平均寿命は20代後半、長く見積もって30歳そこそこでした。ごちょうさまの毛利氏の石高約140万石からすると、毛利氏の領国の住民は約95万人程になります。その住民から3万5000人を動員しようとすると4%近い動員になります。18世紀の軍国プロイセンですら、国民の約3%程の常備軍を集めたといっても、その半分以上は強制徴募した外国人傭兵に頼ることで、ようやくその規模と国力を維持することができました。更に日本の農業は欧州の農業に比し遥かに労働集約型のもので大量の農民を要するものであり、農民を長期に動員することは、国を破綻させるものでした。動員するのは武士であるから、大丈夫といわれるのでしょうが、16世紀の日本が、人口比率から考えると、18世紀のプロイセンの常備軍の倍の武士を養えたというのは、私としては納得できません。

 そうした前提の中から考えていきますが。備中高松城を初めとする備中七城に既に篭っている2万人余り、更に大友氏や南条氏に対する押さえの兵をゼロにする訳にもいかず、瀬戸内海の水軍衆も塩飽水軍や来島村上水軍が寝返ったからには、その押さえの水軍衆も必要で、と考えていくと、本当に4万人もの援軍を毛利家は集められたのでしょうか。本当なら、どう考えても7万人は全部で必要です。となると住民の7%以上を動員する必要があります。そして、その住民にしても、平均寿命は長く見て30歳そこそこ、10代未満が多いのです。私としては、毛利家の援軍4万人というのは、呼号するだけで実態の無いものだと考えるのは上記の理由があるからです。ごちょうさまは、何を持って、根こそぎ動員でないとされるのでしょうか。

> これについては未確認なので何とも言えませんね。五ヶ国割譲と言うことは毛利の領国安堵は安芸・周防・長門のみと言う提案ですか?かなり非現実的な提案に思えます。それとも美作・因幡・伯耆を含めた五ヶ国と言う事なのでしょうか?

 高柳光壽氏によると、五ヶ国割譲というのは伯耆・備中・備後・出雲・石見のことで、これについての秀吉の発言が記録に残っているそうです。即ち、毛利家の領国は安芸・周防・長門のみということになります。美作や因幡は、既に羽柴・宇喜多によってほぼ制圧されつつありましたから、毛利家に対する講和条件が、本当に五ヶ国割譲ならば、美作や因幡を今更割譲云々するのは不自然です。

> ちなみに「歴史群像シリーズ・驀進・豊臣秀吉」では堤防3〜4Kmの大規模な物では無く、蛙ヶ鼻・水越付近の300m程度だったと言う説もありますね。

 結局のところ、備中高松城水攻めの目的をどう考えるかに掛かってきます。本当に、備中高松城を水没させるのなら、大規模な工事が必要です。しかし、備中高松城を取り囲む沼地を池にしてしまい、備中高松城の城兵の出撃を不可能にし、毛利家の援軍との戦いに羽柴・宇喜多連合軍が専念するため、というのなら小規模な工事で充分であると考えます。


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