タイトル | : Re: 本能寺の変の謎 |
投稿日 | : 2005/06/16(Thu) 23:14 |
投稿者 | : WalkingAircraftcarrier |
山家さん、皆さん、こんばんは。
以下は思いつきで、実はとっくに出ている説なのかもしれませんが…
1. 信長公記によると、明智軍は早朝奇襲を行っています。つまり、夜に入ってから老の坂にのぼり、桂川を渡ったところで夜が明けはじめています。これは奇襲攻撃では理にかなった行動でしょう。
2. 明智軍13,000というのは、明智軍が山崎の戦場に集中した数です。
私は、本能寺襲撃に参加した兵力はこれよりずっと少ないのではないか、と思います。
亀山から本能寺までは直線で約15km、路上距離はおそらく30km近いでしょう。 これだけの距離(山越えと渡河あり)を夜間行軍して市街地に入り、市街地内で静粛に包囲展開をしてから攻撃するとなると、かなりややこしい戦術行動です。とすれば、
(1) 錬度の高い部隊でないと困難、
(2) 兵力が大きければ大きいだけ統制が難しくなる,
(3) 政治的に信頼のおける部隊しか使えない、
と思います。あてずっぽうですが、襲撃に参加した兵力は1,000か多くても2,000どまり、ではないでしょうか。
3,こう考えれば、まず本能寺だけ包囲した理由(兵力に限りがあるため信忠包囲にまで兵をさけない)、信忠が二条城に籠城した理由(敵兵力も大したことはないので、脱出をはかって混乱するよりは、籠城のほうが有望と考えた)も、無理なく説明がつくと思われるのですが、いかがでしょうか。