History Quest「戦史会議室」
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タイトル Re^3: 本能寺の変の謎
投稿日: 2005/06/17(Fri) 21:41
投稿者山家

> ふーむ。斬新な見解ですね。三官推任などを考えればあり得ない話では無いですね。

 三官推任については、織田信長のほうから村井貞勝等を通じて言い出したという説があります。当時、日本全土を平定したわけでもない織田信長が新王朝を作ろうとするのは、敵勢力全体に反織田の大義名分を与えることからしても、極めて考えにくいことのように私には思わます。

 本能寺の変における黒幕(外部勢力)存在説についてですが、私としては主に二つの理由から否定的な立場をとっています。まず、黒幕とされる人物の多くについて、状況証拠しかこれまで基本的に挙げられていないことです。本能寺の変により、これこれの利益を受けた、従ってこの人物が黒幕である的な論法が多く見受けられます。本当に黒幕がいたのなら、その黒幕は羽柴秀吉や徳川家康により徹底的な追及を受けたはずです。羽柴秀吉や徳川家康が黒幕だったという説もありますが、それなら明智光秀は何故黙って殺されねばならなかったのでしょうか。羽柴秀吉や徳川家康と通謀して本能寺の変を起こしたと明智光秀が本能寺の変の直後に訴えたら、どうするつもりだったのでしょうか。百歩譲って黒幕がいたとしても、本能寺の変を起こすかどうかは、明智光秀しだいです。明智光秀が、林秀貞や佐久間信盛と同様に黙って織田信長の判断を仰ぐことにし、その際に黒幕からこのように働きかけがありました、と明智光秀が証言したら、その黒幕はどうするつもりだったのでしょうか。

 羽柴軍に対する援軍派遣ですが、私としては、過酷な講和条件を飲むことを渋っている毛利家に、講和を決断させるためのものであった可能性が一番高い、と考えています。今でも不利な状況下にある毛利家にとって、更に約2万余りの敵が増えるということは、完全に毛利家に勝算がなくなるということです。従って、本能寺の変が起きねば、毛利家は羽柴秀吉が当初示した5ヶ国割譲に加え、清水宗治切腹という過酷な講和条件を否応無く飲まざるを得なかったでしょう。

 しかし、それは明智光秀にとって我慢の限界を超えるものになったのではないか、と私には思われるのです。対四国政策において、明智光秀が苦労して築き上げてきた長曾我部との友好関係を、織田信長は自分の都合で切り捨て、羽柴秀吉が薦めた長曾我部の宿敵の三好氏と同盟する道を選びます。更に、そのような不愉快な目にあわせた羽柴秀吉の下で毛利家と戦え、という織田信長の明智光秀への命令は余りにも明智光秀を蔑ろにするものではないでしょうか。

 更に、柴田勝家でさえ自らの保身のためにお市の方を正室に迎え、羽柴秀吉は秀勝を養子にしています。林秀貞や佐久間信盛の追放等の処置は、織田信長の家臣団に不安を招いていました。そういった中で正室もいて、家督を継ぐべき嫡子もいた明智光秀が自らと妻子の将来に不安を覚えるのもやむをえないことではないでしょうか。

 そういった将来への不安を抱き、また、織田信長の命令に憤りを感じていた明智光秀にとって、織田家の軍勢の多くが畿内にいないという本能寺の変の直前の状況は、千載一遇の好機に思われたと私には思われるのです。今を逃せば、織田信長を殺すチャンスは無い、更に明智軍を持って畿内を電撃的に制圧すれば、天下を取れなくとも、畿内の大勢力として自立できるように明智光秀は考え、野望を持って本能寺の変を起こしたように私には思われます。


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