History Quest「戦史会議室」
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タイトル Re: 備中高松城攻めの謎
投稿日: 2005/06/18(Sat) 13:28
投稿者WalkingAircraftcarrier

山家さん、ごちょうさん、皆さんこんにちは。
 WalkingAircraftcarrierです。
実は私、備中高松城から10qほどのところに住んでまして、現場も多少は知っております。(山家さんも、「岡山の古戦場」をお持ちということは、ご近所なのかもしれませんが)
現場は確かに低地なのですが、周囲はけっこう広くて、川はそう大層なものでなく、「どうやったらコレを海にできんのよ?」と突っ込みたくなる地形です。
私の結論は、「ひどい誇張だ」です。

1. まず、守備兵力から。私のタネ本は「日本城郭体系」の岡山県の部で、萩藩閥閲録を底本にしているようです。それによると、現地の兵力6000余、近郷の百姓500、毛利本国からの援兵2000。合計8500。しかし。
(1) 境目七城に籠城した現地土豪は、備中のうちの賀陽・窪屋・都宇3郡だけです。(姓から確認可)備中は天正検地で19万石。上の3郡はせいぜい8万石止まり。動員可能兵力は2000から、根こそぎでせいぜい3000でしょう。七城と高梁川との間にある城(本来、こっちが連中の本城です)にも若干の兵力をおかねばならないでしょうから、最前線に配置可能な兵力は2000〜2500と見ます。毛利本国からの援兵は、1000〜1500でしょうか。(バランスと、指揮官が大した人でないので。)よって、七城全体で守備兵力は3000〜4000、高松城はその半分の1500〜2000人と踏みます。
(2) そもそも、七城は規模が小さいのです。冠山城の曲輪面積は5000u程度です。高松城はずっと大きいですが、それでも30000uくらいです。これに8500人籠城したら1人あたり1坪くらいしかありません。戦場物理的に、そんなには詰め込めないのではありますまいか。
2. 次に築堤です。山家さんのおっしゃるとおり、工事が膨大すぎます。ところで、信長公記では「川のせきを切って水をたたえいれた」とあります。そこで思うのですが、当時の(低地の)川というのは自然堤防の間を流れているわけなので、これを切り欠いて流路を変えてやれば溢れ出て、現地は勾配がほとんどありませんから海は無理でも泥海にはなってくれて、軍事行動の妨害にはこれで十分です。そうしてやって、寄せ手は自然堤防の上に陣地を構えればよいわけです。これなら、詩的フンイキはぶちこわしですが、工事量はぐんと少なくてすみます。
3. 真相は案外、こんなところではないでしょうか。


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