History Quest「戦史会議室」
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タイトル Re^6: 本能寺の変の謎
投稿日: 2005/06/22(Wed) 06:08
投稿者ごちょう

>その日記に村井貞勝の発案であると書いてあるのですが、
>きちんと読まれましたか。これに対して、誤記であるとい
>う主張等がなされ、朝廷側からの発案であるという反論が
>なされています。(詳細は立花京子氏の著作を読んでくだ
>さい)。しかし、素直に書いてあるとおりに読むならば、
>村井貞勝の発案にしか読めません。それを外部状況等から
>誤記である等とするのは、どう見ても資料を自説に都合の
>よいように無理に解釈してあるようにしか私には思われま
>せん。

もちろん「三官推任」を肯定して上で「朝廷と信長には確執
は無かった」と言う解釈は議論の余地があると思いますよ。
しかし「三官推任」そのものを否定されては議論の前提が崩
れてしまうので何等かの新事実等の論拠が必要となるのです。

ただ状況証拠を積み上げて「信長・朝廷間には軋轢があった」
とする解釈もそれなりに説得力のある解釈に思えますね。

小生も山家さんの個人的解釈は尊重しますが、上記にも「反
論がなされている」と言う事実は確認されている訳ですよね。
立花京子氏の解釈に関しても「三官推任の存在」自体には異
議を唱えている訳ではないですよね。他の研究者にしても「
三官推任の存在自体を否定」した事例はちょっと記憶が無い
ので、事実関係として「三官推任は存在した」と判断すべき
だと小生は考えているのですが。

そしてその反論を論破する新事実が出てこない以上、小生の
現段階では「晴豊と貞勝のどちらかが三官推任を提案したか
は未確定」と判断せざる得ないと考えています。当然晴豊の
可能性も捨てれないと考えるのが妥当でしょう。

また小生は三官推任の提案者を問題にしている訳ではありま
せん。提案者が貞勝なら「貞勝が提案した」事にしても「三
官推任の存在」には何ら問題は無いように思います。貞勝が
三官推任を提案したら何が問題なのでしょうか?

既述では朝廷と信長との事務方の事前協議にように受け取れ
ますから貞勝からの提案であっても特に問題はないと小生に
は感じられるのですがね。貞勝の提案なら提案で「貞勝の個
人的な提案具申」であった考えられるので問題は無いでしょ
う。しかも両者はその後朝廷・信長にその提案を持ち帰って
協議していますね。従って少なくとも「三官推任」を軸に調
整が進んでいた事は否定できない事実ですね。

しかし貞勝と断定した上で、それを論拠にいきなり三官推任
の存在の否定にまで飛躍させるところには「さすがに無理が
ある」と言わざるを得ないでしょう。

ですので小生は「山家さんには何か新事実はあるのか?」聞
いているのです。

>暦についてですが、朝廷内部で当時の京暦が不正確である
>ことが問題視され、暦を変えることが論じられていたこと
>は、宣忠卿記の天文8年4月3日の記載等から現在明らか
>になっています。暦のことが信長と朝廷の間で深刻な問題
>になっていたというのは無理があると思われます。

影響の大きさともかく、この問題は天正10年2月3日から
の継続議案を蒸し返した格好になっていますから、両者の係
争議案であることはほぼ確実ですね。

ただこの問題を肯定した上での影響の大きさについては議論
の余地があると思います。朝廷内部ではよくある係争問題の
一部と査定するか、それとも重大が確執とみるべきかは個々
の解釈の分かれる所かも知れませんね。

ちなみに信長の提案は京暦を廃止する大胆な改革案であった
ので朝廷の抵抗も激しかったとも推測できます。ですので天
文8年の事例は詳細を検討して見ないと一概に信長の事例と
は同列に比較は出来ない要因もあるかと思いますね。

>更に言うならば、本能寺の変当時、信長は右大臣は返上し
>ていますが、正二位の位は保持したままであり、織田家の
>家督を継いだ織田信忠は三位中将である等、朝廷の権威を
>認めてきています。そして、三職推任からも朝廷の下にあ
>ろうとしたのは、自明のことに思われます。

>津田信澄との関係があるから、自分は安心できると明智光
>秀が思えたとは、到底思えません。

状況的に見て信長と光秀の間には何等かの政略的意図があっ
たと考えるのが妥当ですから「血縁工作」であることは確実
だと小生は考えるのですが。

つまり「血縁工作」は秀吉や勝家の専売では無く、光秀も行
なっているであろう事例として上げているのです。しかも時
期から見ても「血縁工作」において光秀は織田家中では「先
駆者」と言うべきで光秀がその様な工作に疎かった訳でも後
手に廻った訳でも無いのです。従って仮に「血縁工作に不安
を感じた」のならそれ相応の対策を講じていると考えますね。
要は「血縁工作に関しては秀吉もやったし、勝家もやった。
そして光秀もかなり早い段階からやっている。その点におい
てはそれほどの違いは無いのでは無いか?」と言いたいので
す。

ちなみに信澄は本能寺の変の後、光秀内通の疑惑をかけられ
て信孝に討れましたから、光秀・信澄間が特に険悪であった
訳では無いようですね。

まさか山家さんは光秀の娘と信澄の婚姻は「血縁工作ではな
い」と主張なされているのでしょうか?


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