History Quest「戦史会議室」
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タイトル Re^6: 1940のフランス軍の戦略構想
投稿日: 2005/01/24(Mon) 23:14
投稿者山家

> 早速のご意見ありがとうございます。まずは、山家様の意見に対する私の所感を少々。まず講和条件ですが、あの時点で講和交渉に持ち込めば、ヒトラーは結構寛大な条件を出してきたと思います。その根拠は、まずヒトラーはあ段階での対仏戦は予想しておらず、そもそも英仏が干渉してこない、という前提で対ポーランド戦を始めたはずです。そのあたりは開戦の経緯を調べてみますと感じるものと思います。ヒトラーの生涯の目標は東方にあり、西洋世界との戦争は彼にとってできるだけ避けるべき課題であり、いわば誤算であったと文献等により読みとれる物と思います。それが講和交渉に持ち込める、というのなら彼にとって願ったりの事態であり、外交上のアクロバットは大得意の彼なら、思わぬ条件を出してくる可能性の方が、過酷な条件でご破算にする可能性より大きいような気がします。
> 根拠その2ですが、パリも陥落し、いわば仏を煮て食おうが好きに出来る状況となっても、彼は独自軍と一定の主権と領土の保持という早期戦争終結を優先したかなり寛大といえる条件で講和しました。その点から考えても、まだ力を保持している状態の仏に対してはかなり寛大な講和が予想できるのではないでしょうか?

 歴史上、講和条約というのは、当事者の一方が抗戦不可能になり、一方の主張する降伏乃至それに準ずる休戦条約を呑むか(例、太平洋戦争)、当事者双方がこれ以上継戦することは明らかに自らに不利になると判断するか(例、日露戦争)しないと結ばれた例は無いものと私は理解していますので、そもそも、ポーランド戦役が終結した時点で仏が講和を呼びかける、ということ自体が、独伊枢軸、英仏連合共戦いはこれからだと判断していた、お互いの当時の状況判断からは、基本的にありえない、思い切り後知恵の入った考えにしか思われないのですが、それを詳細に論じ出すと本題から外れるので、取りあえず置きます。

 百歩譲って、当時の仏が講和を呼びかけたとして、私としては最初に書き込んだ条件が(英仏相互援助条約の破棄、アルザス・ロレーヌ地方の返還等々)、ヒトラーの譲歩できる最低ラインだと考えています。あの時点で講和するということは、史実と異なり、英仏軍が無傷で残るということです。もし、独ソ不可侵条約を破棄し、独ソ戦を開始した後で、英仏がソ連と同盟したら、どうやって独は対処するのでしょうか。それは講和条約があるから大丈夫というのは、余りにも甘い考えです。独ソ開戦という事態が生じたら、独のソ連との不可侵条約不遵守を理由に、英仏は公然とソ連を支援するでしょう。そうなった場合に備えて、英仏を分断し、仏軍の戦力を低下させておくことは必要不可欠です。

 史実の1940年における仏との講和条約を、1939年の時点で独が寛大な講和条件を提示する根拠とされておられますが、あのときは仏軍が崩壊し、英軍主力も命辛々本国に逃げ帰った後で、独にとって西方の軍事的脅威はほぼ消滅しており、独としては、英国とも速やかに講和し、対ソ戦役に戦力を集中したい時期で、1939年当時とは国際的な軍事情勢が全く異なります。国際的な軍事情勢が全く異なる1939年において、独が寛大な講和条件を提示してくるとは、私には考えられません。


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