History Quest「戦史会議室」
[記事リスト] [新着記事] [ワード検索] [過去ログ] [管理用]

タイトル Re^9: 1940のフランス軍の戦略構想
投稿日: 2005/01/29(Sat) 02:20
投稿者DASREICH

>  こちらに対するレスを怠っていましたので、とりあえず、こちらにのみレスします(もう一つの方は、一部レスしますが、明日、基本的には行います)。
>
> まず、万一仏より講和を呼びかけてきた場合、その講和条件は、という点にまとを絞って反証していきますと、まず、独の究極の目的が対ソ戦にあり、対仏戦はいわば、それに備え後顧の憂いを絶っておく、いわば対ソ戦の前哨戦である、という位置づけについては山家様も異論無きようですので、その前提をもって独の考えうる戦略観より講和条件を分析していきたいと思います。
>
>  それを当時の仏政府が信用していた、と述べた覚えはありません。もう一度、繰り返します。独のヒトラーの外交に信義は欠片もありません。日本に対する独の外交政策を少し調べただけで、それは自明のことです。対ソ戦に備えて防共協定を1936年に日本と結ぶ一方で、対日戦のために協力を求めてきた中国国民党に対し、対日戦指導のための軍事顧問団の派遣継続と戦車を含む大量の武器援助を行い、その独の援助を頼みの一つとして、中国国民党は日中間の全面戦争を決意しています。ちなみに、対日戦指導を行う独の軍事顧問団の撤収等を求める日本の度重なる要求はヒトラ−に公然と無視され、WWUの危機が公然と囁かれるようになり、独本国が最優先にされた1938年にようやく行われました。少し時期が前後しますが、このために、独ソ開戦時に、対ソ戦を最優先に考えていた筈の日本陸軍は対ソ開戦の準備が整わない羽目になりましたが、ヒトラーは自らのことを棚に上げ、対ソ戦準備が整っていない日本を同盟違反と非難したはずです。
>
まあ、上記の点はご返答まちとして、以下個別について反証してみましょう。では、仏の同盟国、英国、はそれほど信義にあふれた同盟者でしたでしょうか。山家様のように外交政策に信義を重点におく視点より見てますと、
まず、英はベルサイユ条約を自分より破ることになる、英独海軍協定に
ストレーザ戦線でベルサイユ体制維持を英・仏・伊の3国で確認しあった
すぐあとに調印しています。また、ミュンヘンでは同盟を約束した
チェコを軽々と見捨てています。また、独裁体制打破が世界の安全と
平和のためで、そのためにはいかなる犠牲もいとわない、
というのであれば、同盟国ポーランドを蹂躙した、
独裁体制国家ソ連にも、信義にのっとって宣戦すべきなのでは?
という感じで、仏、の立場から見て、英国が信義にあふれる同盟者、
というのを信じるのもお人好しすぎる気もしますが。
といっても、独の外交にあまりにも節操が無いことも事実です。
ただ、外交というのは信義を競う場ではなく、どういう手段をとったら
自国に有利か、を争う場であり、信義はその手段にすぎないと
思います。では独と英、どっちが信用できたか、という議論になって
しまいそうですが、それはまだ前の件が落ち着いていませんので、
それ以降にしたいと思います。今回の件は、あくまでも、
当時の仏の視点より、こういう見方もできた、という例示に留めたい
と思います。


- 関連一覧ツリー (★ をクリックするとツリー全体を一括表示します)

- 返信フォーム (この記事に返信する場合は下記フォームから投稿して下さい)
おなまえ
Eメール
タイトル
メッセージ   手動改行 強制改行 図表モード
参照先
暗証キー (英数字で8文字以内)
  プレビュー

- 以下のフォームから自分の投稿記事を修正・削除することができます -
処理 記事No 暗証キー