History Quest「戦史会議室」
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タイトル Re^11: 1940のフランス軍の戦略構想
投稿日: 2005/01/31(Mon) 22:50
投稿者DASREICH

>  こういうことは余り書きたくないのですが。
>
>  できたら、私の1つの書込みに対するレスは1つにまとめていただけないでしょうか。私にとっては、私の書込みに対するDASUREICHさまの見解というのが、極めて通しては読みづらいですし、一昨日もあったように、レスを落すことになりかねませんので、できたらお願いします。
>すみません。以前そうやって一括で送ろうとしたら、失敗して全部消えて
しまったことがあり、それ以来一件・一件送信できたのを確認してから
送るくせがついてしまいまして、以後できるだけ注意します。

>  私もそうは思いますが。当時の日本政府はソ連を太平洋戦争の講和の仲介役として期待していたと覚えていますが、間違いでしょうか。
>その点は異論はありませんが、山家様の論旨は、仲介国は公正であるべきだ、の例示として、日本がソ連を選んだ、という論旨のように思える
のですが、その論旨だと、論旨を補強する根拠が矛盾している
ようにおもえるのですがどうでしょうか?


>  WWU開戦直後から、独海軍はほぼ全力で英仏の通商破壊作戦を行っており、開戦当日に早速、無警告による客船攻撃すら行っています。これは、明らかに英仏に対する本格的な全面交戦行動にしか、私には思われませんが、DASREICHさまは、独海軍全力を投入しての通商破壊作戦は、英仏にたいする本格的な交戦行動には当たらない、という御主張なのでしょうか。私には正直に言って理解できません。

>開戦直後、の点、どの時点からを意味しているかによりますが、
一番一般的に、一応宣戦布告直後の時点と解釈しますと、独は全面通商破壊
を行ってはいません。総統指令2号において、当面の戦時国際法順守を
ヒトラーは海軍に指示しています。3号においては、仏海軍に対する
戦闘禁止も指示しています。(出典-ヒトラーの作戦指導書・東洋書林)
また、開戦直後の客船攻撃の件は、確か連絡不徹底による事故で、
その艦長は何らかの譴責をうけたと記憶しています。
いずれにしても、指示は除除に解除され、最終的には全面通商破壊戦
となるのですか、それでも、すぐに全面戦争を独もためらっていた、
という傍証になるかと思います。                   重要な外交交渉を行う際には、首脳レベルが赴くものではないでしょうか。ミュンヘン会談でも各国首脳が集まっています。それよりも重要な講和条約締結が、外相レベルで済むものでしょうか。日露戦争を例に挙げられるのでしょうが、あれは双方共に本国から遠方で、航空機も無かった時代のことです。日清戦争でも李鴻章は下関まで赴いていますし、実際のWWUにおける独仏の休戦協定締結の際にも、コンピエーニュまでヒトラー自身が赴いています。

では山家様にお聞きいたしますが、停戦、あるいは戦争終結の
講和交渉で両国の元首レベルが
直接交渉した例がどのぐらいあるのでしょうか。山家様はミユンヘンを
例示しておられますが、あれは講和交渉ではなく最初から国際会議の
設定です。独仏の講和も、別にヒトラーがでてくる必然性はなく、
ただ、ヒトラー個人の復讐心を満足させるためで、
別に外相レベルでもすんだのではないでしょうか。


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