タイトル | : 第三の意見? |
投稿日 | : 2005/01/27(Thu) 18:17 |
投稿者 | : WalkingAircraftcarrier |
DASREICHさん、風間さん、こんばんわ。
河合@管理人さん、ありがとうございました。
えー、白熱してて、どこに書き込んだらいいのかわからないのですが、とりあえずこのポジションで意見を申し上げます。
「終戦にいたるデザイン」という点については、私はDASREICHさんと同意見で(もしかするともっと極端で)、戦争である以上、売る側にも買う側にも必ず…首狩り族どうしの戦争であろうとも…当事者としての(主観的な)デザインはある、と思うのです。それが外部とか後世の目から見て、合理的かどうかは様々でしょうけれども。
例えばドイツの対米宣戦の場合は、「ソ連はもうすぐくたばる。そうしたら対英戦に総力をつぎ込んで、これもやっつける。そうすれば孤立したアメリカは和平に応じるしかなくなる。日本の対米宣戦は歓迎できる事態ではないが、こうなった以上は日本がアメリカの戦力を太平洋でなんぼかでも拘束してくれているうちに戦争にしたほうがいい。でないと、日本はあっというまにやられて、アメリカが全力をドイツに向けてくるかもしれない。」というアタマではなかったのでしょうか。もちろん客観的には誇大妄想もいいところですけれども、ヒトラーは皆さんご存じの通り、中庸の人ではありませんからね……
もう一つの、国益型か存亡型か、という点では、風間さんのご意見に(これも多分極端に)賛成で、DASREICHさんの言われる「国益型」と「存亡型」との間にありとあらゆる混合率のケースがあり得るのみならず、これだけでは分類しきれないケースだってある……バーバラ・タックマン女史がいうように「『傷つけられたエゴ』も戦争の原因になり得る」というのにも賛成です……と思うのです。
……こんな第三の意見を持ち出すとなおさら混乱してしまうかもしれませんが、ご容赦を……