タイトル | : Re: 36〜38年当時のドイツ軍の実力評価 |
投稿日 | : 2005/02/03(Thu) 21:38 |
投稿者 | : ごちょう |
こんにちは、ごちょうです。
>この点は、どうなのでしょう。少なくとも、現在でなく当
>時の目からはどうでしょうか。
確かに「一撃」は言い過ぎかと思います。でも英仏が脅威に
に感じる程には「強くなかった」とは言えるでしょう。
>割引きして聞く必要があるのではないかと思います。
確かに再軍備で50万人・35個師団のドイツ国防軍の英仏は驚
きましたが、実情は「ドイツの予備役を総動員して揃えた」
ような物で、所詮ヴェルサイユ体制下の「総兵力10万の陸軍」
に毛の生えたような陣容でした。結局ヒトラーは労働奉仕団
やヒトラーユーゲントなどを即席で兵士に仕立てるしかなかっ
たのです。
装備面に関してはほぼウィリーさんが書いてくれましたので
割愛します。
>2.ガムランは仏政府に、36年のラインラント進駐のとき
>「ドイツに侵攻するには総動員をする必要がある」と言っ
>ています。
ラインラント進駐に関しては当のヒトラーでさえ「ラインラ
ント進駐後の48時間は、私の生涯でもっとも神経を痛めたと
きだった。もしフランスがラインラントに兵を進めたなら、
わがほうは尻尾を巻いて撤退しなければならなかっただろう。
私の不退転の頑張りと冷静さがドイツを救ったのだ」と言っ
ています。それ位ヒトラーにとっては「危険な賭け」だった
のです。
その後のヒトラーは自己の外交戦術に自信をつけ、そしてこ
の成功が所謂「脅迫外交」の原点になったとも言われていま
すね。
>38年のミュンヘン危機の際には仏政府は英国から「当面は
>2個師団しか送れない」と言われていっぺんに腰砕けにな
>りました。
それ以前に当時チェンバレンはドイツと武力衝突するつもり
はなかった訳で、上記のような発言は「フランスを強行路線
から脱落させる」発言のような気もします。またフランスは
1923年のルール占領の苦い記憶あるので「イギリスを無視し
てまで単独行動には出ない」と言う読みもあるでしょう。
イギリスの軍事事情は疎いのですが、額面通りの軍事事情と
も思えないのですが。
>軍事的要因も十分にあった…英仏の政府・軍がドイツ軍の
>実力を高く評価していた…ことは確かだろうと思うのです
>が。
確かに英仏はドイツの軍事力を高く評価していましたが、こ
れは言わば「過大評価」と言うべきもので実情とはかけ離れ
た評価でした。まあこう言った事柄は誤認と錯誤が付き物で
はありますが、結局「ヒトラーの軍事宣伝が巧かった」と言
う事なのでしょうか?