タイトル | : Re: 1940のフランス軍の戦略構想 |
投稿日 | : 2011/10/04(Tue) 18:51 |
投稿者 | : korosuke |
「第二次世界大戦を勃発させること」自体がフランスの勝算だったのです。
英仏は、早ければ1939年冬のうちにも、英仏との世界大戦を再び引き起こしたヒトラー政権は、
ドイツ国民の支持を失い崩壊するものと予想していました。
それが無くとも、マジノ線によってドイツ軍の攻撃進路をベネルクス三国経由に限定し、
ドイツ軍を前大戦と同様の塹壕戦に持ち込めば、前大戦に比べはるかに容易にドイツは崩壊すると、
信じられないほど楽観的に考えていたのです。
ヒトラーはイタリア領南チロルと同様に、フランス領エルザスロートリンゲンの回復を諦めていました。
ヒトラーはドイツがフランスを征服すれば、欧州の一国支配を認めないイギリスと必ず対決すると見抜いていました。
だからこそヒトラーはフランスの脅威を受けつつある旧敵国イタリア及びイギリスとの同盟によって、
フランスを健在のまま封じ込めることにより、西方の安全を確保した上で、
東欧ロシアの征服と植民地化を目論んでいたのです。
ドイツがソ連を打倒するなど不可能なのだから、英仏はチェコスロヴァキア同様ポーランドを見捨て、
ドイツに宣戦布告しなければ良かったのです。
そうすれば1939年冬はポーランド分割線で独ソ両軍が対峙する状況となり、
ソ連は大軍を投じてフィンランドに侵攻することは出来ず、冬の間にもバルト三国を併合していたでしょう。
そして1940年春にもヒトラーはソ連侵攻を開始していたでしょう。
この時点ではドイツ軍の主力戦車は20mm機関砲装備のU号戦車、一方ソ連の主力T26・BTは45mm戦車砲装備ですから
ドイツ装甲師団は瞬く間に消耗し、戦線は膠着状態となっていたでしょう。
独ソ戦がその後どのような結末を迎えるかは分かりません。
少なくとも、西欧諸国がドイツ占領下となることも、フランス降伏後の仏印進駐から日本が南進へと突き進み、
経済制裁に追い込まれ、遂にはアメリカとの全面戦争に突入することも無かったでしょう。
そして英仏がドイツの勝利を望まないなら、ドイツ軍がモスクワに迫った時点で、
英仏連合軍がベルギーからルール工業地帯を総攻撃すればよかったのです。
あるいはもしソ連が勝利しライン川以東がソ連占領下となろうとも、第二次世界大戦中に英仏には何の損害も無かったのです。